コーチング
私はこれまで、かれこれ40年近く選手の育成に携わってきました。その中で確信していることがあります。それは——
「指導者は、常に選手と同じ立ち位置にいるべきだ」ということです。
選手を“上から”見るような言葉では、心は動きません。大切なのは、選手の目線に立って語りかけること。それは中学生であっても、プロ選手であっても変わりません。
ときには、ただ隣にいるだけでも「コーチ」として十分なこともあります。逆に、怒鳴ったり、選手の気持ちを無視して自分の意見ばかり言う指導者は、選手にとって負担でしかありません。
「そばにいるだけで支えになる」──そんな存在こそ、コーチだと私は思います。
私の前任者は、大声で指示を出すことが多かったと聞いています。しかし私は、「大声」を使うのはタイムを読むときくらい。それ以外の場面では、選手の耳元で静かに伝えるようにしています。
なぜなら——
選手は、自分の弱点を皆に知られたくないからです。
耳元でそっと伝えることで、選手は冷静に受け止め、納得し、修正につなげていきます。この「自分のためだけに言ってくれた」という感覚が、強い信頼関係を築くのです。
跳躍の選手が跳ぶたびに、私はその場で近づき、短く的確に、耳元で伝えます。このスタイルは、選手たちから「コーチの囁き」と呼ばれています。
現在、私は大学の陸上部で指導をしています。昨年10月に就任した当初、選手たちは少し戸惑っていました。なぜなら、私は常に選手に問いかけ、逆に選手からの質問も求めたからです。
この「対話の文化」が根付くまで、約1ヶ月かかりましたが、その後、選手たちはリラックスして、より質の高い練習に取り組めるようになりました。
選手が安心して話せる環境こそ、最も良い練習を生みます。
私は日曜日に1週間分の練習メニューを選手に共有します。選手たちはそれを読み、疑問があればメールで聞いてきます。私は一人ひとりに丁寧に返信し、全員が納得してから月曜の練習に臨むのです。
若い頃の私は、難しい専門用語を使って背伸びした指導をしていました。でも、師匠である監督にこう言われました。
「無理せんでいい。自然体で教えろ。」
「自分が感じたことをそのまま教え、試し、結果を見ながら学ぶ。ダメなら変えればいい」この言葉に、私は張り詰めていた肩の力が抜けたのを覚えています。
それ以来、私は現場で選手を観察し、状況に応じてその場で柔軟に指導メニューを変えるようになりました。この変化によって、選手のパフォーマンスは向上し、信頼関係も一段と深まりました。
「コーチ学」と呼ばれる学問があります。しかし私は、その多くが机上の空論であり、現場では通用しないと感じています。
「コーチングは学ぶものではなく、経験から築いていくもの」
私は、自分の失敗や戸惑いから学び、選手と一緒に成長してきました。選手の変化をその目で観察し、彼らの声に耳を傾けながら、実践を通じて指導法を磨いてきたのです。
そして今、確信しています。
「指導とは、共に悩み、共に歩むこと。その連続の中にしか、本物のコーチングは存在しない。」